小春のアルバイト
春希は元カレ
露見した事実
取材場所は…
小春が好きになった春希
小春のアルバイト
新年早々から、開桜社は相変わらずあわただしかった。
「北原くーん、昨日頼んでおいた資料、出来てるー?」
「はーい、サーバーにアップしてあります」
「北原、俺が頼んだ校正は?」
「それはもう少し…えぇと……昼までには!」
そんな中、浜田から春希に声がかかった。
「北原、今日から一人学生アルバイトが入るんだか、そいつをお前に付けるから面倒見てやってくれ」
「え?俺に…ですか?」
春希は戸惑った。なにしろ入社1年目の自分にそんな他人の面倒なんて…
「俺に出来るかどうか、分かりませんよ、浜田さん」
春希の不安げな声にも浜田は動じた様子もない。
「大丈夫だ、昨日お前が出先に行ってる間に面接に来て、即採用が決まった。早速今日からでも働きたいって。すごい真面目なコでいきなり30分くらい質問攻めだったし」
「そうそう、北原君の妹さんかと思っちゃったよ」
え?妹…ということは女の子?
「峰城付属の卒業生だから…妹じゃないけど、北原の後輩だな」
春希の背中を悪寒が走った。なんかこの展開は以前にもあったような…まさか……
「お…来た来た、おーい、こっちこっち」
浜田が声をかけた方を見ると、そこには予想どおりの姿が…… そう、小春の姿が。
「おはようございます、みなさん。今日からよろしくお願いします」
ぴょこんと頭を下げると見慣れたポニーテールが、春希の目の前で自分を主張するように揺れた。
「そうそう、杉浦さん。昨日は不在だったけど彼があなたの面倒を見てくれる北原君よ。」
鈴木に紹介されても春希は声が出なかった。
「はい、知ってます。北原春希先輩ですよね。あこがれの北原先輩と働けるなんて最高です!」
「あこがれ…」
「最高…」
小春の言葉に皆唖然とした。
「杉浦さん、誰かと人違いしてない?いくらなんでも北原君があこがれって…」
「そうそう、こいつは真面目だけがとりえの仕事人間だよ?」
皆は春希の仕事に関しては認めているのだが、男っぷりとしての評価は低かった。
その言葉に小春は一瞬不機嫌そうな顔をしたが、それに気付いたのは春希だけだった。
「え?あれ?だって… 学園祭のDVDが送られてるはずじゃ… あれ見たら……」
小春の言葉にみんな一瞬戸惑ったが
「何で学園祭のDVDが…って、そういえば麻理さんが受け取ってたDVDが… あ!思い出した!それ、冬馬かずさが映っているってやつだ!北原君も映ってるの?」
鈴木の言葉に春希は驚愕した。そんなものが編集部に送られていて麻里が受け取っていたなんて……
「す…鈴木さん、それ、そんな大したものじゃありませんから…」
「確か麻里さんの残してった資料は……」
鈴木は春希の言葉など聞きもせず、どうやら問題のDVDを探しに行ったようだった。
鈴木を止めるのは不可能と悟った春希は、小春に向き合った。
「えーと… 杉浦…さん、じゃぁこれから仕事の説明をするから」
「はい!よろしくお願いします。北原せんぱ……言いにくいから『春希先輩』でいいですか?私のことは『小春』でいいですから」
「…いや……杉浦さん…いいですからって……」
「小春がいいなぁ…」
「えーと…」
「小春じゃなくっちゃ嫌だなぁ…」
少し頭を下げて上目遣いに見つめてくる小春に
「……勝手にしろ…」
「やったぁ!」
はしゃぐ小春を横目に、春希はがっくりと肩を落とした。
一日の仕事を終えた後でも感じたことのない疲労感だった。
「それにしても小春のやつ、いったい何でここに……」
小春の性格は分かっているつもりだった。仕事にプライベートは持ち込まない。
自分と同じ職場で働こうなんて、考えるやつじゃなかった……。少なくとも相談ぐらいしてくれるはず…。
春希は昼休みに食事に行こうと小春を外に連れ出した。
これでやっと小春と落ち着いて話が出来る。
何しろ編集部の中では、皆の手前二人でゆっくり話す事も出来なかったから。
「何でグラフ編集部に来たんだ?」
春希の質問に小春はきょとんとした顔で答えた。
「え?何ででしょう?それは人事の人に聞いてもらわないと…」
「小春がそうしてくれって言ったんじゃないのか?」
「違いますよ!先輩は私のことそんなふうに思ってたんですか?だいたい、開桜社を選んだのだって、たまたま他の出版社がバイトの募集をしてなかっただけです」
小春はきっぱりと言った。
「ただ、面接の時に『何で出版社で働こうと思ったんですか?』って聞かれて…」
「何ていったんだ?」
「『2年前の『開桜グラフ』の冬馬かずさの記事を見て感動しました。取材して出てくる事実が一般的には悪いことばかりでも隠そうとせず、
でも、読んでいてその記事を書いた人の優しさが滲み出てるのが分かりました。自分もあんな愛情のこもったお説教みたいな記事が書きたいなぁって思ったんです』って」
「………」
「そしたら面接してくれた人が、『ああ、それ書いたの俺の部下なんだ。よかったらそいつに付いて働いてみる?』って言ってくれて」
「浜田さんか……」
そういえば、急に人事の人に不幸が出来て、面接しなきゃならんってぶつぶつ言ってたよな。あれか…
「だから私『よろしくお願いします』って答えたんです」
「なんで俺と一緒に働くって分かってて… 仕事とプライベートを一緒にするなって…」
春希は不満そうに言ったが、それに対して小春はさらに不満そうな顔で
「だって、冬馬先輩が日本に来てるんですよね?コンサートの取材とかあるんですよね?そしたら先輩の仕事にプライベートが入って来ちゃうじゃないですか」
「俺だって、仕事とプライベートはちゃんと分けてる。いくらあいつのことだからって…」
「それは無理です。だって、冬馬先輩が分けさせてくれませんから。おもいっきり私情を挟んできますから」
「うっ…」
反論出来なかった。そう、かずさは自分はこれは仕事だからってそっけない態度をとるが、それならとこっちも同じようにすると絶対不機嫌になって……
「だから私、少しでも春希先輩のそばにいたいんです」
小春はそう言った後、春希には聞き取れないほど小さな声で続けた。
「……だって…いつ、私のものじゃ無くなっちゃうか……分かんないんだもん…」
春希は元カレ
翌日、春希は憂鬱な気分で出社した。
別に小春が一緒に働いているぐらいは問題は無かった。
けれど、小春はあの日ずっと春希に猛アピールをしていた……ように周りからは見えたらしい。
小春のかわいさもあってか、特に独身男性社員からは無言の反感を感じていた。誰とは言わないが、すぐ上の先輩なんかは特に…
「おはようございまーす」
編集部に入ると周りからの視線が集中した。え…?と動揺した春希に
「おはよう、元カレ君!」
鈴木からとんでもない挨拶が返ってきた。
「…鈴木さん……えっと…俺、誰の元彼なんですか……?」
戸惑う春希に、鈴木は熱っぽく答えた。
「何言ってんの、あんな……すっごくカッコ良かったよ!」
その言葉でピンと来た。そう言えば、きのう学園祭のDVDを探しに行ったんだっけ…
「もうさぁー、これで麻里さんが何で北原君にぞっこんだったか分かっちゃった気がしてねぇ」
「いや、麻里さんが俺にぞっこんって、そんなあり得ない事を…」
「あー、これだから女心が分からないヤツは……」
鈴木はやれやれといった表情で春希を見た。
「麻里さんもあれ見ちゃったんだよねぇー、そりゃクラッとくるわよ……」
いや、こっちが今クラッときたんですけど…、と春希が思っていると、松岡が
「そんなにすごい映像だったんですか?いったい北原何したんです?」
「いやー、あたしもさぁ、最初全体の映像が映って、左の黒髪ロングに目が行ったわけよ。あっ、冬馬かずさだ、って。でも、カメラは真ん中のボーカルのコばっかアップで映すわけよ」
「冬馬かずさを映さないなんてもったいない……」
「あたしも一瞬そう思ったんだけどね、これがまたすんごいカワイいコなわけよ。ある意味冬馬かずさ以上ってぐらいの。
でさ、そのコがまた歌がすっごくうまいの。きっと学園のアイドル的存在だったんだろうねぇ…」
「そんな子と冬馬かずさが組んでるって…それってすごい事なんじゃないですか?」
もはや松岡も興奮気味である。
「でもね、もっと驚いたことがあるのよ、実は…」
春希は、これ以上の説明をされるのを避けようと
「もう、いいじゃないですか、鈴木さん。ほら、仕事しないと浜田さんが……」
だが、春希が見回しても浜田の姿は無かった。鈴木はそれを見ると肩をすくめて、
「一曲目の途中で冬馬かずさがサックスを吹きだしたのよ。もーびっくりしちゃって」
春希はとりあえずほっとした。まだその話題なら…
「へぇー、冬馬かずさってピアノだけじゃなくそんな事も出来るんだ」
「しかも、二曲目はベース弾いてたしね」
「うわ、もうなんか嫌になっちゃいますよね、俺たちなんか楽器なんて全然ダメだもんなぁ、北原」
しかし、松岡の何気ない言葉に鈴木の目が輝いた。
「ダメダメ松ちゃん、北原君を自分と同じなんて思っちゃ…って、それは置いといて、二曲目何だったと思う?なんと緒方理奈の『SOUND OF DESTINY』なのよ」
「『SOUND OF DESTINY』って…確か最後のギターソロが、無茶苦茶カッコイイやつじゃ… でも難しくて俺の同級生であれ弾けるヤツなんて一人もいませんでしたよ」
「そのギターソロを完璧に弾いちゃったのが、ここにいる北原君だったのよぉ、もぉサイコーにカッコヨかったよぉ!
そんで、そのソロが終わった後にさぁ、もう、燃え尽きたって感じの北原君に冬馬かずさがそっと寄ってって、顔にコツンって拳を当てたりしちゃってさぁ、
あー、なんだよこいつら、通じ合ってるじゃんって思ったんだよ、ね、元カレ君」
鈴木の言葉にすかさず春希は反論した。
「だから、元彼違いますって!おれはあいつとはつき合ってませんから」
その言葉に違和感を感じて鈴木が
「あいつとは?…じゃぁ、ボーカルのコ?」
これに春希は言葉に詰まってしまった。
「うっ………」
春希は、しまった、と思ったがもう遅かった。
「え?えぇ?……えー!! ホントにホント?あのコ?あの綺麗なコ?あのコが北原くんの彼女なの?もしかしてこの間…」
「…だから、今はつき合ってませんから。もう別れましたから」
何とか話題をおわらせようとするが、
「やっぱ元カレじゃん」
「『誰の』という処の認識が違ってると思うんですが…っていうか、そろそろ仕事しないとホントに浜田さんが…」
春希がなんとかその場を切り抜けようとした時に
「北原!」
浜田の大声が響いた。
「ほら、言わんこっちゃな……」
「北原、アンサンブルの編集長がお前に来て欲しいそうだ。冬馬曜子のご指名だと。今から一緒に行くぞ!」
突然の指名に驚いた春希は、慌てて浜田のほうへ向かった。
「は…はい!」
そして春希は浜田について行った。こっちは確か応接室か……曜子さん来てるんだ。
「この間のインタビューでお前の事すっかり気に入ったみたいだぞ。よくやった、いい関係を作れてるな」
「はぁ…」
この間のインタビューって……あの、後半かずさと言い合ったやつかよ…なんか顔合わせづらいな…
応接室に入ると、曜子と吉松編集長が談笑していた。曜子の影になって見えないが、もう一人いるみたいだった。
「どうも、冬馬社長。いつもお世話になっております」
挨拶する浜田の影に隠れるように、春希は少し後ろに下がっていた。
「あら、やっと来てくれたのね。今日はウチの新人を紹介するわ」
そう言うと、横の人物を春希たちの前に出した。
「初めまして。冬馬曜子オフィス・冬馬かずさ担当マネージャーの小木曽と申します。今後ともよろしくお願いいたします」
「………………」
「よろしくね、ギター君」
「よ…曜子さん!これはいったいどういう事です!?」
思わず春希は曜子に問いただしてしまった。
「ギター君?…曜子さん?……おい、北原。おまえ冬馬社長とどういう…」
戸惑う浜田に曜子は
「あら、言ってなかったかしら?ウチの娘が彼に5年前からベタ惚れでねぇ…」
「娘って……しかも5年前からぁ?」
突然の発表に浜田が驚きの声を漏らした。
「は…浜田さん、それは……えっと…冬馬社長のいつもの冗談ですから!気にしないで下さい」
春希は必死に誤魔化そうとした。だが、それよりも問題は雪菜だ。なぜ雪菜がかずさのマネージャーに……?
露見した事実
曜子が編集部に来たのは、アンサンブルに載せるかずさの特集記事の為だった。
大筋の話が終わると、吉松編集長と浜田は後を春希に任せて退室した。
「久しぶりだね、春希くん。元気だった?」
二人が出ていくとすぐに雪菜が春希に話しかけて来た。
「あ…ああ。雪菜も元気そうだな」
春希はなるべく平静を装って答えた。
「ん……まぁ…実はこの間まではそうでもなかったんだけどね。かずさのおかげで元気出たかな…」
穏やかな笑顔で雪菜は答えた。
「それはそうと、曜子さん、雪菜がかずさのマネージャーですか?」
春希はとりあえず真っ先に気になることを聞いた。
「だってぇー、かずさがこのコがいいって連れてきちゃうんだもん。私としてはギター君の方がいいんだけどねぇ」
そこまでは、緊張感の無い話し方だったが、ここで急に曜子の顔が真剣になった。
「そういえば、ストラスブールではかずさがずいぶんお世話になったみたいね。あの子ったら後から言うんだもの、お礼言いそびれちゃったじゃないの」
ああ、そういえばそんな事もあったなぁ、と春希は思った。
「いえ、俺は特に何もしていませんよ。すべて小春がやったことですから…」
「そうそう、その杉浦小春さん?。あの子の母親として、ぜひ会ってお礼が言いたいんだけど、あいにく今晩から暫く向こうに行かなくちゃならないのよねぇ」
『母親として』という言葉に春希は一瞬迷った。今なら会わせられる。何故なら、今日も小春はそろそろバイトに来ているはず。
その一瞬の迷いを曜子は敏感に感じ取った。
「あら?もしかして、今どこか近くにいらっしゃるの?」
「わたしも小春さんに会いたいなぁ…」
「少しの時間でいいんだけどねぇ」
ここは押せばなんとかなると感じた二人から執拗に迫られた。
「わ、分かりました。……実はですね、小春は先日からウチの編集部でアルバイトしてるんです。ただ、俺との関係は内緒にしてあるんで……」
話が長引くということでお茶でも持ってきてもらうか……、春希はそう考えて内線を手に取った。
「あ、鈴木さん?北原です……それはもういいですから、えーと……杉浦さん来てます?
……だから杉浦さん………す・ぎ・う・ら・さ・ん!………あーもう!小春ですっ!小春来てます?」
小春は編集部に来るとすぐに春希の机に向かった。
「おはようございまーす!…あれ?春希先輩は?」
「北原なら、今冬馬社長と打ち合わせ中だ。大きな仕事が来たからな」
ちょうどその時、戻ってきた浜田が上機嫌で言った。
「それってやっぱり冬馬かずさ絡みの仕事ですか?」
そこへ会議室からの内線が入った。
「はーい、グラフ編集部でーす」
鈴木が、のんびりとした声で受けた。
「…あぁ、元カレくん?…なに、どうしたの?……え?誰?……そんな人いたっけ?……うーん思いだせないなぁ……あぁ!小春っちの事かぁ、うん今来たよ。
……お茶?でも彼女給湯室まだ使った事ないよ……うん、三人分ね……じゃぁ一緒に行ってあげるよ」
鈴木は受話器を置くと小春に向かって言った。
「小春っち、先輩君がお客様にお茶を出してくれって。…と、いうことで私が教えてあげるから一緒に来て」
「あ、はい、分かりました」
小春は元気に答えると、鈴木についていった。
鈴木が小春を連れて行った後、浜田が小声で木崎と松岡に言った。
「冬馬かずさにすっげー美人のマネージャーがついたぞ」
「それって、冬馬かずさ本人よりも美人ってことですか?」
松岡が興奮ぎみに聞いた。
「うーん、難しいところだな…タイプが違うというか、明と暗というよりは…太陽と月。白と黒というよりは……ピュアホワイトとピアノブラックって感じだな」
「へえぇ……俺もご挨拶に行ってこようかなぁ」
「松岡!お前はそんなこと言っていられる状況じゃないだろ!昨日俺がボツにした原稿の書き直しはどうしたんだ!」
「はいぃ!あ…あと少しで……」
相変わらずの松岡であった。
小春は鈴木に教えてもらってコーヒーを淹れた。もちろん一つは「冬馬社長専用スペシャル」という名の黒い砂糖水、あと2つは普通のコーヒーである。
「ほんっとうにこれでいいんですか?もしかして冬馬社長に恨みとかありませんよね……」
心配そうに小春が聞いた。
「大丈夫、というかこれでもまだ苦いって言われるけどね……」
「…体に悪そうですね」
などと話しながら応接室へ二人で入って行った。
「失礼しまーす……え?……」
「どうしたの?小春っち」
応接室に入ってすぐのところで小春が立ち止まった。
それを見た鈴木が何かあったのかと中を覗いた。その視線の先にはにこやかな雪菜がいた。
「あ…あれ?……もしかして元カノさん…?」
「しいっ!鈴木さん、聞こえますよ!」
鈴木の声は春希と雪菜には聞こえなかったようだが、さすがに曜子は聞きとってしまったようだった。
「あら、ギター君編集部の人に話してるの?」
「え?何をですか?」
鈴木の言葉が聞き取れなかった春希は聞き返した。
「せっちゃんがあなたの元カノだってことよ。」
「………!」
「社長ー、『せっちゃん』はやめてくださいって……」
「じゃぁ、『ボーカルちゃん』?」
「う……それよりは『せっちゃん』のほうがいいです……っていうか春希くん、皆に話してるの?」
雪菜は別に怒ったふうでもなく、春希に聞いた。
「いや…話してるわけじゃないけど……実は付属祭のDVDを観られてそこから探りを入れられて……」
「ふうん…、まぁ、いいかぁ。……えっとぉ、春希くんの元カノの小木曽です。今後ともよろしくお願いいたします」
雪菜はにこやかに名刺を鈴木に差し出した。
「小春さんもよろしくね」
「いや、そんなふうに挨拶されても困るから、ねえ、鈴木さん。わざわざ杉浦を連れてきてくれてありがとうございました」
そう言って春希は鈴木を部屋の外に追い出そうとしたが、曜子の言葉がそれを遮った。
「あーそうだった。杉浦さん、ストラスブールでは娘が世話になったそうで、ありがとうねぇ」
半分応接室から追い出されかけていた鈴木の目が輝いた。
「え?ストラスブール?」
春希は目の前が暗くなるのを感じた。
取材場所は…
結局、鈴木には小春との関係を話すしか無かった。
曜子と雪菜が帰った後、誰にも聞かれないように気をつけて説明した。
「ほかの人には黙ってて下さいよ」
という春希の言葉に
「えぇー…どうしよっかなぁー、ってウソウソ、話したりしないって。でもさぁ、元カノさんの事は?それもダメ?」
「わざわざ話すことでもないでしょう?もう、終わったことなんだし…」
そんな春希の言葉に
「そうかなぁ……」
横にいた小春がつぶやいた。
「小木曽先輩、きっとまだ春希先輩のこと好きなんだと思う。それに冬馬先輩だって……」
小春はストラスブールでかずさと出会った時の事を思い出していた。
雪の積もった石畳の上をヒールが折れたからと言ってブーツを抜き捨て、それでも両足を血まみれにしながらも春希を探しまわっていた姿を。
会っちゃいけないと言い、寂しそうな表情で俯いていた姿を。
「まぁ、どっちにしろこの仕事で顔を合わす事になるんだからさ」
鈴木の言葉に小春は
「そうなんですよね……特集記事かぁ……昔のこと根掘り葉掘り聞いちゃおっかなぁ」
春希の顔を覗き込んだ。
「あれ?…なんだか余裕だね、今カノさんは」
鈴木が驚いたように言った。
「ふふっ、開き直ってるんですよーだ。先に編集部に戻ってますね」
そう言うと、二人を応接室に残して出て行った。
「やっぱり今カノの自信かねぇ。どう思う、今カレ君は?」
春希は頭痛を感じながら不機嫌そうに答えた。
「鈴木さん……、あなたただ引っ掻き回したいだけでしょ………」
「はぁーっ………」
編集部に戻ると小春は大きく溜息を吐いた。
「よっ、お疲れ。やっぱり冬馬曜子に会うのは緊張したか?」
浜田が声をかけてきた。
「あ…は、はい。やっぱりオーラが違いますよね」
小春は笑って答えたが、どちらかと言うと曜子よりも雪菜に会ったことの方が疲れの原因だった。
思い返すのは以前見た雪菜の姿だった。
2年前、喫茶店で話をして小春が店を出た後、窓際に見えた雪菜は顔を両手で覆って泣いていた。
自分の傷は、春希にだけはもう癒すことができないと言っていた。
その傷を癒したのは時間?それとも冬馬先輩?
今日の雪菜を見る限り、すっかり癒されていた。いや、それどころか……
曜子と雪菜は打ち合わせの後、オフィスへ戻った。
「お帰り、母さん、雪菜」
出迎えたかずさが二人に声をかけた。
そして、雪菜に近づくとこっそりと耳打ちした。
「雪菜、どうだった?春希に会って…」
「うん、ちょっとドキドキしたけど、平気だったよ。あぁ…やっぱり春希くんは変わってないなぁ……」
雪菜は両手を握りしめ、うっとりとした表情で答えた。
が、次の瞬間、ぱっと表情を引き締めると、
「そう言えば、小春さんにも会ったよ」
「え? 小春って、春希の彼女の?」
かずさは少し驚いて聞いた。
「うん、春希くんの処でバイトしてた。……彼女、すっごく綺麗になってたなぁ…」
雪菜は明るく話すが、それを聞いたかずさは不満そうに
「あいつ… 仕事先に彼女侍らすなんて……」
「いいじゃないの、愛し合う二人はいつも一緒にいたいものなのよ、特に彼らは若いからねぇ…。それに綺麗になったのはきっとすごく愛されてるからよ」
横から曜子が言った。
「………5回も……」
「あら、かずさったら随分気にしてるのね…」
曜子のからかうような言葉にかずさは慌てて取り繕おうとした。
「べ……別に気にしてなんかいない。…あいつらが一晩で何回しようと……」
「え? えぇ? 一晩でって……5回もぉ?………すっごいね、春希くん…」
何のことかなんとなく分かった雪菜がちょっと羨ましそうに言った。
「すごいねって……雪菜…」
かずさは呆れて雪菜を見た。
でも、同時にほっとした。雪菜は本当にもう大丈夫だろう。
「それよりも母さん、今後の練習場所はどうなってるの? あの内容だと今の所じゃ……」
「ああ、それなら大丈夫よ。来週から使えるから。なんなら3人でそこに住み込んでもいいわよ」
「え?そんな所あるんですか?」
雪菜が嬉しそうに聞いた。
「ええ、きっと皆満足するわ。せっちゃん、あとから教えるから開桜社に連絡しておいてね」
「わかりました」
雪菜はそう答えると、自分のデスクで仕事の準備を始めた。
翌朝、出社した春希に浜田が
「北原、冬馬曜子オフィスから取材場所の連絡が来たんだが……」
「どうしたんですか、浜田さん?」
どうも様子がおかしい。
「いや…場所が『岩津町駅改札前午前9時集合』ってあるだけなんだ」
春希は浜田に来たメールを見せてもらった。
送信者『株式会社冬馬曜子オフィス 小木曽雪菜』
件名『冬馬かずさ取材場所のご連絡』
内容は浜田の言った通りだった。
来週からあそこへ行くのか……
「いえ、どうして駅前集合にしたのかは分かりませんけど、多分、以前住んでいた家にしたんでしょう。
一時期売りに出されていたんですが、ずっと売れてませんでしたから多分売らずに残したんでしょう」
「なんだお前詳しいな」
「以前取材しましたからね。地下に防音設備の整ったスタジオ付きの豪邸なんて、買い手はなかなかいませんよ」
「さすが元カレくん、何度も通ったんだね」
横から鈴木が言った。
「いえ、鈴木さん……その件は違うって納得してくれたんでしょ?」
「だってねぇ、あのあとライブ映像を何回も観直したんだけど、やっぱり通じ合ってるのよねぇ、これが。だって目と目で会話してるんだもん」
もう、鈴木を説得するのは諦めたほうがいいのかもしれない。
「……とにかく、違いますから。で、浜田さん、俺はどう動けばいいんですか?」
もう、強引に話題を変えるしか無かった。
「お前は来週からそこへ直行でいい。基本、編集部に来なくてもいいから今回の取材に集中しろ。他の仕事は無しだ」
「え? そんなに北原に楽させちゃっていいんですか?」
松岡が不満そうに言った。春希もこれには同意見だった。これまでこなしてきた仕事量に比べて、あまりにも少ない。
「実はな、今回の特集なんだが、最初は本誌の特集ページでの掲載という話だったんだが、向こうの希望で別冊になったんだ。しかもそれを北原に任せたいとな」
「それにしたって、ずいぶん時間が余るじゃないですか?」
「ところがだ、向こうの要求に、北原の自由に出来る時間を最低1日10時間確保して欲しいというのがあったんだ。もちろん取材や最低限の睡眠と移動や食事等以外にだ。
理由は言わなかったが、向こうの都合で北原にやって貰いたいことがあるみたいだったな」
春希は考えた。自分にやって貰いたいこと…… 当然かずさと雪菜が絡んでいる事は間違いない。
「それは、今回の特集・出版に関係した事なんですよね?」
「それはそうだろ。売り上げを伸ばす為に必要な事だって聞いてるからな。じゃなかったらこっちも納得してないぞ」
「なら、やるしかありませんね。で、内容で気をつける事とかありますか?向こうの希望とか」
春希の質問に浜田は1枚の資料を出して言った。
「これが向こうの希望する構成だ。意外だったのは最初向こうに却下された企画が少し変更されて復活した事だな。新マネージャーがどうしてもやりたいそうだ」
それを見た春希の顔色が変わった。あいつら、なんて事を……
「そのための1日10時間かよ。まったく……」
小春が好きになった春希
「小春ちゃん、こっちこっち!」
美穂子の弾んだ声がカフェテリアに響き渡った。でもそれを気にする者は一人もいなかった。
皆、それぞれの話題に夢中になっていた。どこの大学も同じなんだな、と小春は思った。
自分の通う大学も、そして、ここ峰城大も、人の集まる場所の喧騒は同じ、周りなどお構いなしだ。
「お待たせ、美穂子。久しぶりだね」
週末に会おうという話になって、講義が早く終わる小春がこっちへ来る事になっていた。本来なら自分が通うはずだった峰城大。
こうしてここに来るのももう5回目。最初の頃よりは薄れたとはいえ、やはり寂しさを感じる。
美穂子とはよく会っていた。でも年末年始を含めた冬休み期間は会っていなかったので今日は本当に久しぶりだった。
二人の会話は以前とは変わって、美穂子から話題を振ることが多くなった。それはもちろん小春が春希との話題を口にしにくいという事もあったのだが。
色々話すうちに、美穂子はこれぞ今日の本題とでも言いたげな顔で
「それで?ストラスブールはどうだったの?もう、いいなぁ、先生と二人でヨーロッパの街並みを歩けるなんて…」
美穂子も、もう春希の事は吹っ切れたみたいだった。いや、吹っ切れたと言うよりは、明らかに変わった。
引っ込み思案だった付属の頃とは違い、小百合や亜子といる時も自分から二人と関わろうとするようになったし、何よりも笑顔が多くなった。
小百合の話によると、彼氏も出来たらしい。一人だけ取り残されたと小百合がぼやいていた。
「ああ…、そ、そうね……うん、ストラスブール、良かったよ。綺麗な街並みで、雪が降り積もって……」
そこまで話して、小春は言葉を切らしてしまった。そう、思い出してしまったから。あの日見たものを……
そんな小春を見た美穂子は
「え…どうしたの?向こうで何かあったの?」
美穂子たち3人には、春希が美穂子にとった態度の理由はかなり詳細に理解されていた。主に亜子の彼氏となった孝宏からの情報によって。
そして、その情報から3人が推測した三角関係の一人が、今話題の美人ピアニストだった事も。
「実はね、向こうで偶然冬馬先輩に会ったの」
少し悩んだ後、意を決して小春が言った。
「えぇ?…………」
小春は美穂子に向こうであった事をできる限り全て話した。そして冬馬かずさの春希への想いがどれほどのものか、自分が感じたままに言葉にした。
「そっかぁ、やっぱり、北原先生ってモテるんだね」
「え?……」
あまりにあっさりした美穂子の言葉に小春は言葉を失った。そんな悠長な事言ってられないのに…
「大丈夫だよ、先生はきっと小春ちゃんの事大切にしてくれるから。だって、他でもない小春ちゃんを選んだんだから」
「うん……、ありがと、美穂子」
美穂子の言葉に少し救われた気がした。
その時、二人の耳に学内FMが流す音楽が聞こえてきた。
「あ…、これ、私すごく好きなんだ。峰城大の学内FMでしか聞けない、冬の定番曲なんだって」
美穂子が目を閉じて聞きながら言った。
「届かない恋って、まるで以前の私の北原先生への想いみたいで…すごく…すごく心に、響いてくる、いい曲だよ……」
これまで何度も来た峰城大だったが、ここでこの曲を聞くのは小春にとって初めてだった。
「そっか、美穂子この曲好きなんだ。でも……知らなかったんだ…」
大学内で耳にするこの曲の事だけは、孝宏も姉の事を気にして何も言わなかったのだろう。
美穂子には、話してもいいかな。そう思って小春は自分のタブレットを取り出して言った。
「これが、その曲が演奏されている映像だよ……。」
小春が見せたのは学園祭ステージの映像。
「え?これって……あれ?これ、冬馬かずさ先輩じゃ…それに……北原先生!……」
「この曲はね、春希先輩が詩を書いて、それに冬馬先輩が曲を付けたものなの。歌っているのは小木曽のお姉さん。
……私、今はっきりと分かった。この3人でいる時の姿を見て、春希先輩の事好きになったんだ……。私の好きな先輩は、3人で楽しそうにしている、この先輩なんだ……」
小春は確信した。あれだけ反感を持っていた春希の事をなぜ好きになったのか。この姿を見たからだ。この3人で居る時の……
夕方、美穂子と別れた小春は、開桜社へと向かった。毎週金曜日はバイトを入れる事にしていた。
春希先輩が仕事を終えるまで居て、一緒に彼のマンションへ向かう。そのまま週末は二人で過ごすのだ。
小春の両親も春希といる事には、何も言わなかった。あの付属の最後の年、小春を苦しみから救い出したのが春希だったから。
着替えの入った少し大きめのバッグをロッカーに押し込みながら、週末の春希との時間を思い浮かべていた。
ところが……
「どーいう事なんですか?」
小春の声が編集部に響き渡った。
「来週から2週間も、春希先輩が『出張扱い』って私困ります」
凱旋コンサートまでの2週間ずっとあの二人といるなんて……
「いや……困るって言われても…、これは仕事なんだから…」
浜田も小春の権幕に押されて、普段の勢いが無い。
「1日10時間も自由に出来る時間を与えるなんて、常識じゃ考えられません。冬馬曜子オフィスは何を考えてるんですか?」
それには浜田も同意見だった。しかし、冬馬曜子に意見など出来る訳が無かった。
春希に文句を言おうにも、出先からまだ戻っていなくて、この日は小春は鈴木に付いて仕事をした。
これがまた、小春にとっては苦痛だった。なにしろ、ありとあらゆる状況を妄想して、小春の不安を煽ってくるのだから…。
それでも春希と小春の関係を知る鈴木は、出先から戻り、残務処理をする春希の終業時間に合わせて小春も終われるよう気遣ってくれた。
それは、もしかしたらこれから苦難を迎える小春に対する、ささやかな気遣いであったのかも知れない。
それでも、そのおかげで小春は、
「お疲れ様です、じゃぁ、春希先輩に送ってもらいますね」
と、偶然を装って一緒に帰る事が出来た。
駅に向かう途中で、春希は小春に一言だけ言った。
「いろいろ気になるかもしれないけど、マンションに帰ってから説明するよ。雪菜たちが何をしようと考えてるかは、だいたい予想できてるから」
そう言った春希の表情には、気負った感じも、後ろめたさも無く、穏やかだったので小春は春希の話をおとなしく聞く事にした。
そして、マンションに着くと春希は来週からの事を話してくれた。
取材先の冬馬家は、春希たちが付属時代に冬馬かずさが実際に暮らしていた家だということ。
そこで5年前、学園祭ライブの為の泊りこみの練習をしていたこと。
出版する本の付録としてCDを付けるが、その中に3人の曲を入れる事。
そのギターの練習の為の10時間確保だという事。
「だけど、今更ギター弾けなんて困ったよ…」
けれどこの時の春希の瞳は、以前『冬馬かずさの取材』の為に付属に来た時、第二音楽室で見た瞳と同じだと小春は感じた。
そしてまた、期待もした。自分が好きになった春希が、あの輝いている春希が見られるかもしれないと。
