3食○寝付き
駅までの道で
かずさの告白
春希の為だけでなく
朋からのプレゼントとお返し
有給休暇とライブ
一般出演者決定
小春の告白と新曲の歌詞
3食○寝付き
月曜日、いつもと違う駅で降りた春希は、改札へ向かった。住宅街のこの駅に早朝降りる客は少ない。
改札を出ると、そこには不機嫌そうな表情のかずさがいた。
「遅い……」
「いや、約束の時間にはまだなっていないんだけど……」
春希は時間を確認するとすかさず反論した。
「待ち合わせの時間の5分前に来ているのは常識だろ?おまえは社会人になってもまだ分かって無いのか…」
「いや、だから8時55分着の電車で来たんだが…」
「駅に55分着なら、改札を出るのは何分だ?まったく、あたしが春希に説教する日が来るなんてな……」
そう言うかずさの表情が笑いをこらえていることに、春希は気がついた。
「それに、雪菜もまだ来ていないじゃないか。それとも、相変わらず雪菜には文句が言えないのか?」
「雪菜は家で待ってる。迎えに来たのはあたしだけだ」
かずさから予想外の言葉が返ってきた。
「いや、それは本来マネージャーの仕事だろ……」
そう言ってから、春希は察した。
「おまえ、まさかそれがしたかったから、わざわざ駅での待ち合わせにしたのか?ちょうど5分前に着く電車があるから、俺はきっとそれで来るだろうと思って」
「…さあな」
かずさは両手を広げて上に向けて、肩をすくめた。そんな姿に春希は懐かしさを感じた。
「と…とにかく雪菜が待ってるんだろ、行こうか?」
「せっかちなやつだな、まだ約束の時間前だってのに」
呆れたようなかずさの言葉に
「おまえな……」
そう文句を言いながらも、春希は時間が巻き戻ったような錯覚に囚われた。
この感じ……あの頃のかずさと俺……
玄関に入ると雪菜がパタパタとスリッパの音を響かせて来た。
「いらっしゃい、春希くん」
「あ…いや、えーと、開桜社の北原です。本日からの取材よろしくお願いします」
春希は取り合えず仕事だからと雪菜相手でも形式的に挨拶した。
「おまえ、あたしにはそんな事言わなかったくせに、差別か?」
その態度にかずさが不満を漏らした。
「いや、顔合わすなり『遅い』だったから、言うタイミングが無かっただろ…」
「言い訳ばっかりだな……」
そんな二人のやりとりを雪菜はにこにこしながら見ていた。
「とにかく、まずは荷物を置こうよ…って、春希君、荷物少ないね」
春希の持っている鞄を見て雪菜が言った。
「雑誌の取材に必要なのはこんなもんだよ。必要になったらそのとき準備するさ」
「ふうん、まぁ、いいか。こっちが春希君の部屋だよ」
そう言って、二階へ行こうとする雪菜に春希はもしやと思い聞いた。
「あれ?雪菜はもしかして俺が泊り込むと思ってるのか?」
その言葉に雪菜は驚いたような顔をして言った。
「えー!もしかして、毎日帰るの?だってあと2週間しか無いんだよ。往復の時間が無駄だよ」
確かに記事の締め切りまでは2週間しか無いのは分かっている。
「いや、常識としてやっぱり泊るのは……」
何とか断ろうとする春希に
「ご飯だって全部作ってあげるし、ベッドも準備したし、『3食添い寝付き』だよ」
雪菜はとんでもないことを言い出した。
「いや、添い寝はちょっと……」
「あたしは添い寝なんてしないからな!」
横からかずさが呆れたように言った。
「そっかぁ、かずさは添い寝嫌だって、残念だね春希くん。わたしだけで我慢してね」
「いや、だから……かずさ、なんとかしてくれ」
そう言ってかずさを見ると、またもや笑いをこらえている。はっと気がついて雪菜を見ると、こちらも同じだった。
「相変わらず、春希くんは真面目だね。ふふっ、冗談だよ。そんな事したら小春さんに悪いからね」
からかわれたと気付いて春希はがっくりと肩を落とした。
「でも、春希くん。時間が無いのは本当だからね。気にせず泊っていってね」
「ああ、もしそうしなければならなくなったら、そうさせてもらうよ」
そう答えながら、また春希はまたあの頃のような錯覚を感じた。あの頃の3人の……
「ちょっと待ってくれ、それは……」
最初の打ち合わせで春希は絶句した。
CDに雪菜が歌うオリジナルナンバーを入れる。そして、その演奏は『峰城大学付属軽音楽同好会』とあったから、恐らく春希にギターを弾かせるだろうという事までは予想出来た。
「オリジナル曲って……、『届かない恋』じゃないのか?」
それには、かずさが平然と答えた。
「これから創るに決まってるだろ。言っとくけど、あたしも雪菜も作詞なんて出来ないからな。それと、これのレコーディングもコンサート前に終わらせるからな」
「だから時間が無いって言ったんだよ。でも大丈夫、春希くんなら出来るよ」
「………」
とりあえず、指定された部屋に持ってきた荷物を置いてから、春希は下へ降りた。
「基本的に、取材は昼で練習は夜だ。あたしはブースで春希はコントロールルームを使ってくれ。セッティングはもう済んでるからすぐに使えるから」
懐かしい地下スタジオに降りてきた春希にかずさが言った。
「これ、結構高いやつじゃないか?」
かずさに渡されたギターを見て春希は聞いた。
「知らない。母さんが適当に選んでるから、別に気にしてない」
「このブルジョワめ…」
そう言いながらも春希は、胸に広がる郷愁のような懐かしさをもう否定出来なかった。
……戻れたのかもしれない、あの頃の3人に……
駅までの道で
午前中に、雪菜やかずさとこの後の取材の予定を確認した後、雪菜の準備した昼食を食べた。
そして午後から本格的に取材開始となったが、予想外に順調に進んだ。
なにしろ雪菜もかずさについて知っている事を話してくれるから、あっという間に知りたい情報が集まってしまうのだった。
そのうちに、雪菜とかずさの雑談のようなやりとりが全て取材に繋がるようになった。
かずさと雪菜は生い立ちも家庭環境も対象的だったから、雪菜が知りたい事が即ち読者が知りたい事なのだと春希は気がついた。
いつの間にか雪菜がかずさから聞き出し、それを春希が書き取る。春希がその内容をPCでまとめ始めると、かずさは練習へ、雪菜は夕飯の準備へ。
夕食後は春希とかずさがそれぞれの練習をしている時に、雪菜が春希のまとめた内容をチェックするという役割分担が出来上がっていた。
雪菜の料理を食べながら、翌日からは午前中を練習時間に当てればあとは今日と同じでいいな、などと春希が考えていると玄関のチャイムが鳴った。
来訪者は小春だった。
「いらっしゃい、小春さん。今ちょうど夕飯にしてるんだけど、あなたも食べていく?」
雪菜からの誘いで小春も一緒にテーブルに着いた。
「うわ……、なんでこんなに美味しいんですか…?」
「うふっ、ありがとう小春さん。でもこんなの慣れよ。あとは愛情かな?大好きな人たちに食べて貰えると思うと、不思議と美味しくできるものよ」
「大好きな人……」
「え…えーと、小春、そう言えばいつもならこの時間はバイトじゃなかったか?」
春希が慌てて聞いた。
「もう、先輩ったら何慌ててるんですか?変な心配なんてしてませんよ。それと、今日は仕事はお休みしました。ここへ来たのは個人的な偵察です」
「心配はしていないけど、偵察なのか……」
横で聞いていたかずさがつぶやいた。
夕食後は練習時間だったので、小春は春希と一緒にコントロールルームに入って行った。
「ついに、先輩のギターが聞けるんですね」
「あまり期待しないでくれよ。何しろ5年ぶりなんだからな」
そう言って春希は弾き始めた。曲は『ホワイトアルバム』
「あれ…その曲弾くんですか?今度のCDって」
「いや、まずは指慣らし。一番最初に弾けるようになった曲だからな」
そう言いながら弾く春希を、小春は黙って見つめていた。
気がつくと、春希が練習を始めてから2時間以上過ぎていた。
「あ…、私もう帰りますね」
そう言って部屋を出ようとした。
「なら、駅まで送ってくよ」
そう言う春希に小春は思った。
― やっぱり、先輩はまだ帰らないんだ。もしかしたらこのまま泊って行くのかも……
階段を上り、玄関まで行くと雪菜がやってきた。
「あ、小春さん、もう帰るんだ」
「ああ、だから俺がこれから駅まで送ってくるから」
「いえ、いいですよ。先輩は今、練習するのが仕事なんですから、ちゃんと仕事してて下さい」
小春はきっぱりと言った。内心は少し拗ねていたのだが、春希はそれには気付かなかった。
「じゃあ、わたしが送ってくるね。ちょうど小春さんと二人でお話ししたい事もあったし」
そう言って雪菜が先に玄関を出て行った。
「じゃぁ、先輩。練習頑張って下さい。おやすみなさい」
「あ、ああ…おやすみ。気をつけて」
「ごめんね、やっぱり不安だよね…」
歩き始めてすぐに雪菜が言った。
「……」
「正直に言っちゃうと、わたしもかずさも春希くんのことまだ好きなのは間違い無いんだ。これだけは多分ずっと変わらない」
小春は暫く無言で歩いていたが、やがてぽつりと言った。
「…それは、分かってました。それに春希先輩もお二人のこと好きなのも……」
「でもね、わたしは今どうしても春希くんと付き合いたいとか、そんな事は考えていないの。まぁ、付き合えたらいいなぁぐらいには考えているけど…
それよりも、今は3人で一つの事に向かって頑張っているのがいいの。今の関係は、昔わたしが望んでいたものそのものなの。でも、あの時はかずさに春希くんを取られちゃうって、二人の世界を作ってわたしをのけものにしちゃうかもって思っちゃったから……」
そう言うと、雪菜は少し早足になって小春の前の方へ行き、そして立ち止まって振り向いた。
小春もそれに合わせて立ち止まり、雪菜と向き合う形になった。
「あの時、どうしてわたしと春希くんが付き合うことになったか教えてあげる」
雪菜は小春に近づくと、少し頭を低くして小春を見上げた。
「こうやって、春希くんを見上げながら少しずつ近づいていったの」
雪菜の顔は、もう小春の目の前にあった。
「そしてわたしは言ったの『よけてもいいんだよ』って。でも、春希くんはよけなかった。そりゃ、出来る訳無いよね、だって春希くん、優しいから……」
「……」
「わたしはね、無理やり春希くんの気持ちをこっちに向けたの。本当は、かずさの事を好きだったかもしれないのに……。
でもあなたは違う、春希くんに選ばれた。だから、もっと自信を持っていいのよ」
そう言った雪菜の顔には暗さは微塵も無く、穏やかに微笑んでいた。
そのまま二人は駅まで無言で歩いた。改札の前まで来ると小春は言った。
「私、春希先輩の事が大好きです。その中でも、一番好きなのは付属祭のステージで『届かない恋』を演奏していた先輩なんです。
だから……、今回もっと素敵な先輩が見られそうな気がするんです。3人の演奏に期待してます」
「うん、がんばるね」
改札を抜け階段を駆け上って行く小春を、雪菜は見えなくなるまで見送っていた。
「…がんばる……からね…」
かずさの告白
取材初日、春希は冬馬邸には泊らず終電でマンションに帰った。
今日の練習では指が全く動かないということは無かった。
恐らくギターを弾くことになるだろうと予想していたので、マンションに持って来ていたアコギを少し弾いていたのが良かった。
ただ、指先が柔らかくなってしまっていたので、弦を押さえるところの皮が赤くなり、めくれる手前だった。
懐かしい痛み、もうずっと忘れていた、あの頃と同じ痛みだった。
「春希くん、帰っちゃったね」
終電に間に合うように冬馬邸を出た春希を見送ってから、雪菜はかずさに言った。
「ああ、帰ったな」
かずさは、そっけなく答えた。こうなるだろうとは予想していた。
「まだ始まったばかりだしな。そのうち、後が無くなって往復の時間さえ惜しくなってくるさ」
「そうかなぁ…、まぁ、そうだと嬉しいな。また以前のように、春希くんとかずさと三人で徹夜で練習出来たらいいなぁ……」
「そうだな…、」
そのまま暫く二人は無言で春希の帰った玄関を見ていた。
お互い、思うことは同じだという事は分かっていた。
あの、楽しかった付属祭前の日々。夢のように幸せだった日々が蘇るかもしれない。
でも、それは砂上の楼閣かも知れないということもまた、お互いに分かっていた。
翌日からは、ほぼ春希の考えていたタイムスケジュールで過ぎて行った。
小春も春希と携帯で話すぐらいで、姿を見せることは無かった。
取材も順調に進み、水曜日には春希のギターも『ホワイトアルバム』はノーミスで出来るようになったので、木曜日からは『届かない恋』の練習を始めた。
『えぇー、なんで『SOUND OF DESTINY』じゃないんですか?』
その話を聞いた小春は不満そうに春希に言った。
「いや、あれはちょっと勘弁してくれ…。あの頃だって本当に出来た事が信じられないくらいだったんだから」
『残念だなぁー、あれを弾いてくれたら先輩のこともっと好きになれるかもしれないのになぁ―』
「そうだな、雪菜も同じ様な事言ってたしな…ちょっと練習してみるか……」
『ち…ちょっと待って下さい。いいです、いいです。練習しなくてもいいですから……』
春希の言葉に、小春は焦って答えた。
「……く…、くくっ…、ははっ」
春希は堪え切れずに笑いを漏らした。
『あ…、あぁー!先輩、私をからかってるんですね』
「いや、でも雪菜が言った事は本当だけどな」
『じゃぁ、やっぱりだめですよぉ…』
「大丈夫だよ、とても弾ける気がしないから」
木曜の夕食後、携帯で小春と話す春希を雪菜とかずさは複雑な心境で見ていた。
「かずさは…、春希くんとどうなりたいの?」
春希を見つめながら雪菜が聞いた。
暫くの沈黙の後に、ぼそっとかずさが答えた。
「……あたしはさ、春希を幸せにできないんだ…」
そう言うと、かずさはリビングを出て行った。
雪菜はあわてて後を追った。
「ちょっと待ってよ、かずさ、それどういう事?」
雪菜の声にも振り向かず、かずさは地下のスタジオへ向かった。
そして、そのままスタジオへ入るとピアノの前に座った。
「……かずさ…」
かずさの表情はここ最近見たことも無いほど沈んでいた。
「…幸せにできないって……」
雪菜はそれ以上言葉を続けられなかった。
だから、かずさが話してくれるのを、ただ待った。
「春希が…さ…」
長い沈黙の後に、ようやくかずさは話し始めた。
「あいつが母親とうまくいっていないのは雪菜も知ってるよな」
「…うん……知ってる」
「本当は、あいつそれを気にしてる……家族は信じあい、助け合うものだってのはあいつの持論みたいなものでさ、付属の頃も事あるごとにクラスメイトとかにも説教してたよ…」
かずさは昔を懐かしむように続けた。
「当時はさ、あたしはそれを聞くたびに自分のこと批判されてる気がしてさ、こいつ、なんて嫌味なやつなんだろうって思ってた。
でも本当は、それはあいつ自身に対する批判だったんだ。あいつは自分と母親の事話してくれた時にそう言ってたよ。
会話も無い、連絡はいつもメモ。最近じゃあ、声すら聞いた事が無いって」
雪菜は春希と付き合っていた頃、そういう話はした事が無かった。母親については、春希があまり話したがらなかったので、あえて聞き出そうとはしなかった。
かずさは母親に反感を持っていたので、そういう話がしやすかったのだろう。
「だから、自分はもし子供が出来たら、絶対にそんなふうにならないようにするんだって。
そして、できたら子供に、母親にとっての孫に自分たちの関係修復の助けになってもらいたいって。子供を通じて少しでも話が出来るようになればって。
情けない話だけど、自分の力ではもうどうしようもない事だから、母親も孫には心を開いてくれるかもしれないって。それがささやかな希望だって」
「それなら、かずさだって。春希くんとかずさだって二人に子供ができたら……」
そんな雪菜の言葉にかずさは強い口調で言った。
「駄目なんだ、あたしじゃ…。あたし…子供が出来ないんだ。……付属に入った頃からずっと生理が来ないんだ!」
「え……?」
雪菜は一瞬かずさが何を言ってるのか分からなかった。
「…生理が来ないって……それって……もしかして…今も…?」
「そうだよ、来ないんだよ!もう、ずっと。それでも、あいつと出会った頃にはそんな事気にもしてなかった。面倒が無くて楽だとさえ思ってたよ。
でも、初めて春希に抱かれて、あいつ避妊なんてしなかったから、せめて子供が出来てたらなんて思った瞬間に気がついたんだ。出来てるはずないって。
……それでも、もしかしたらと思って向こうに行ってから病院で調べてもらったんだ。でもやっぱり駄目だった…」
「………」
「医者が言うには、体に異常は無いから正確には原因は不明だけど、食生活とか、精神的なものかもしれないとか言ってたよ。
確かに思い当たるからな、あの頃のあたしは……母さんに捨てられたって思って、ヤケになって生活もメチャクチャだったから、そのせいだろうけどな……」
「……あたしは、春希とは結ばれない運命なんだよ」
かずさの沈痛な表情に、雪菜は返す言葉が無かった。
春希の為だけでなく
翌日も春希は始発で岩津町駅まで来ると、意気揚々と冬馬邸へと向かった。
昨日までの取材も練習も順調で気分は上々だった。
ただ、気がかりなのは新曲の作詞だった。『届かない恋』の頃のような、ひたむきな想いが無いからなのか、今ひとつ気分が乗らない。
あの頃のかずさへの想い、決して届くはずが無いと思っていたからこそあんな詩が書けたのだろう。
ある意味、報われない想いに陶酔していたのかもしれない。
そんな事を考えながら歩いているうちに冬馬邸に着いてしまった。
いつも雪菜がこの時間は、春希に合わせているのだろうが、玄関掃除の時間にしているみたいだった。
門扉を開けると、やはりそこには雪菜がいた。
しかし、いつもとは違って何もせず、ただぼんやりと空を見ているようだった。
「おはよう、雪菜」
春希は声をかけたが、雪菜はその声が聞こえないのかそのまま空を見上げたままだった。
どうしたんだろうと思い、すぐ横まで来てもう一度声をかけた。
「おはよう、雪菜!」
「え?あ…、あぁ、……おはよう、春希くん」
雪菜は驚いたように春希を見て挨拶した。ただ、どこか心ここにあらずというような感じだった。
「どうかしたの?雪菜」
「ううん、なんでもない。ちょっとぼーっとしてただけ…」
そしてそのまま春希を見て言葉を続けた。
「ねえ、…春希くんとお母さんって、相変わらず疎遠なの?」
突然母親の事を持ちだされて春希は少し驚いた。
正直に言えば、そのことは自分ではもう、忘れてしまいたいとさえ思っていたからだ。
なぜ、突然雪菜はそんな事を話題にしたんだろうか。春希が無言でいると、雪菜はそれを肯定と受け取ったようだった。
「実はね、かずさから少し聞いたんだ。昔、春希くんがかずさに話した事。お母さんとの事は自分の力ではどうにもならないって春希くんは思っているって。
だから、自分の子供、お母さんにとっての孫に期待してるって……。仲直りの橋渡しみたいなものを……」
そう言えば、昔、かずさにそういう話をしたこともあった。でも、それはどちらかというと、母親に反感を持っているかずさの気を引くための話題作りのつもりだった。
そんな事を雪菜に言うのは気が引けたため、春希はこの話題を終わらせる方を選んだ。
「そんな事も言ったかな…、別に真剣にそうしようって思ってた訳じゃないから」
そう言うと、春希は玄関に向かって歩きはじめた。
「…春希くん……」
雪菜は、立ち去る春希の背中を見つめた。
そして、その姿が扉の中に消えると、その視線を二階の窓、かずさの部屋の窓へと向けた。
「かずさ……」
朝食時はこれまでになく暗い雰囲気だった。
普段なら、雪菜が話しかけ、春希が答える。かずさは春希の答えに頷いたり文句を言ったりしていた。
でも、この日はかずさは終始無言だった。
何を言ってもかずさは、ただ黙々と食べるだけで、次第に雪菜も何も言わなくなった。
そして、食事を終えるとかずさは無言で練習の為に地下スタジオへと下りて行った。
「いったい、何があったって言うんだ?」
かずさの姿が見えなくなると、たまりかねて春希が雪菜に聞いた。
「昨日の夜に何かあったのか?二人ともおかしすぎる」
雪菜はただ黙って俯いていた。
暫く春希は雪菜の返事を待っていたが、なにも返ってはこなかった。
「俺が何かしたのか?気付かないうちに二人を傷つけていたのか?」
「違う!そうじゃない……そうじゃ、ないけど…」
ようやく雪菜から言葉が返ってきた。
「ないけど、何なんだ?」
また暫くの沈黙。しかし春希は辛抱強く雪菜の言葉を待った。
「……春希くん、…春希くんって…お母さんの事、嫌いなの……?」
雪菜が口にしたのは意外な言葉だった。
「それが……それが、今何か関係あるのか?」
春希の苛立ったような強い口調に、雪菜は怯えたように少し後ずさった。
「あ…、ご……ごめん…ね……」
その、今にも泣き出しそうな雪菜の顔を見て、春希は我に返った。
そして、今朝からの事を思い返した。
雪菜を見つめると、大きく息を吐き出し、それまでとは打って変わって、穏やかに言った。
「そういえば、朝も俺の母親の話をしてたよな。もしかして、かずさと曜子さんに何かまずい事があったのか?喧嘩したとか…」
「そうじゃないの…そうじゃなくって……」
雪菜は迷った。全てを話すには、かずさの体調の事まで話さなくてはならない。でも、それはかずさの許可無しには話せない。
「かずさは……、春希くんのおかげでお母さんと仲直り出来たって思ってる。そして、その春希くん自身がお母さんとうまくいっていない事に苦しんでるの。自分だけ助けてもらったって…」
「それは、別にかずさのせいじゃないだろ?あいつの処は単なる勘違いで喧嘩してただけで、俺の処は根本的に好かれていないんだよ…」
そして、雪菜はここにきてようやく気がついた。春希の心理に。
「春希くんってさぁ、他人の事は良く見えているくせに、自分の事は全然見えていないよね、昔から」
呆れたような雪菜の言い方に、春希は少しイラッとした。
「どういう意味だ?」
雪菜は春希の不機嫌そうな言い方も気にせずに言葉を続けた。
「付属の頃、春希くんと出会って、わたし、ものすっごく分かりやすいくらいに自分の気持ちアピールしてたんだよ。
かずさにしてもそう、あんなに分かりやすいぐらい春希くんへの気持ちが隠せてなかったのに、肝心の春希くんはわたしたちの気持ち全く気付いていなかったんだよね。
だから、わたしがキスを迫った事でようやく気付いてくれた。そんな人だから……わたし、春希くんがお母さんに嫌われてるって言葉、信じられないの!」
叫ぶような雪菜の言葉に春希は少し気おくれした。
「雪菜……」
「春希くん、かずさがお母さんとうまくいってて羨ましかったんだよね?本当は春希くんも、お母さんと仲直りしたいんだって」
「それは…そうだろ。親と仲違いしているなんていいわけが無い。だからあいつが羨ましかったよ…」
「うん、分かった。わたし、ちょっとおせっかいになってみる。だから…ウザくても気にしないでね」
「いや…ちょっと待てよ。今はそんな事してる場合じゃないだろ?もうすぐかずさのコンサートなんだし」
話の展開についていけない感じの春希に雪菜は諭すように言った。
「春希くんとお母さんが仲直りするのは春希くんの為だけじゃない。わたしやかずさ、そして小春さんの為でもあるの。そして、コンサートの成功の為でも……」
朋からのプレゼントとお返し
午前中、春希は練習をしていたので良く分からなかったが、雪菜はあちこちに連絡をしていたみたいだった。
そして午後の取材は、今日は中止にしようと雪菜は言った。
確かに今のかずさの状態ではあまり話を聞けないと思い、春希も了解した。
遊んでいる訳にもいかないので、春希は練習することにした。
そんな春希にかずさが声をかけてきた。
「なあ、雪菜はどこに行ったんだ?」
久しぶりに声をかけられ、春希は少し驚いた。
そして、なんとなく気がついた。
「…かずさ、おまえ、もしかして雪菜と話しづらかったのか?」
その問いかけに、かずさは暫く口ごもっていたが、やがて話しだした。
「……ああ、…実はそうなんだ。あたし…雪菜に余計な心配をかけてるみたいで……。あんなこと、言わなけりゃ良かったのかも…」
「あんなことって?」
春希がそう聞くと、かずさはじっと春希を見つめたかと思うと、突然顔を真っ赤にして叫んだ。
「あ、……お…お前に、言えるわけないじゃないか!」
「お…おい、かずさ……」
かずさの勢いに驚いた春希は、すこし表情を曇らせた。
「あ…いや、すまない。言いたくなければ俺は何も聞かない」
そう言って、春希は手に持ったギターに視線を移した。
「いや、そうじゃない。あたしは……」
かずさは何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
雪菜はこの日、峰城大に来ていた。
卒業後も就職出来ず、心配してくれていた教授に就職報告をする為だった。
予定が無くなったので、昼に電話でアポを取っていた。
教授は意外な就職先に驚いたようだったが、とても喜んでくれた。
「なんか、懐かしいなぁ……」
もう少しゆっくりしていこうかな、と思い、あの頃たまに春希を見かけたカフェテリアへと向かった。
ちょうど午後の講義中だったので、人はあまりいなかった。
窓際にすわってぼんやりと外を眺めていると、後ろから声をかけられた。
「あっらー、誰かと思えば、『小木曽雪菜』さんじゃないですかぁ」
振り向くと、見覚えのある顔があった。
「あなたは……たしか、……柳原さん?」
「へえぇ、私の名前覚えていてくれてたんですねぇ、あの『小木曽雪菜』さんに覚えていて頂けるなんて、光栄ですわぁ」
朋は嫌味をたっぷり込めて言ったつもりだったが、雪菜はその意図に気づかないようだった。
「そんな…、わたしなんてそんなふうに言ってもらえるような人間じゃないから…。で、わたしに何か用なのかな?」
逆に、朋はそんな雪菜の言葉を嫌味と取ったみたいだった。
「相変わらず、お高いんですね。私みたいなのの相手なんか出来ないって言うんですか?
それとも、もう北原さんの事はすっぱり諦めて、医学部の男の人でも漁りにきましたかぁ?いつかのコンパの時みたいに」
「違うよ、今日はお世話になった教授に就職の報告に来ただけだから」
雪菜の言葉に、朋は獲物を見つけた獣のように眼を輝かせて
「あっらー、そういえば小木曽さんって、選り好みしすぎて就職してなかったんでしたっけぇ。まぁ、さぞかし立派な大企業に就職されたんでしょうねぇ」
「そんな、選り好みなんてしてないし、それに就職したのも大企業なんかじゃないし…。あなたのほうが、よっぽどいい所にいけると思うよ」
雪菜の雰囲気から大した所に就職できていないと判断したのか朋は得意になって話しだした。
「おかげさまで、この春から東亜テレビに行く事になってますぅ。まぁ、在学中からイベントの司会とかでお世話になってたしぃ、目指すはメインキャスターってとこかしらぁ」
「あ、そうなんだ。テレビ局なんだ。だったら、これからお世話になることもあるかもしれないから」
そう言うと、雪菜は名刺を差し出した。
「株式会社冬馬曜子オフィス、冬馬かずさ担当マネージャーの小木曽雪菜です。今後ともよろしくお願いします」
「え……?」
朋は雪菜が言った言葉の意味を理解することが出来なかった。
雪菜が差し出した名刺をじっと見つめたまま黙っている。
「あの…、柳原さん?」
雪菜はどうしようか困って声をかけた。
朋は怒ったように言った
「あ……、あなた…私をからかっているの?…こんな名刺まで作っちゃって。
だいたいあなた、日本にずっといた人が冬馬かずさのマネージャーなんて、馬鹿にしてるの!?」
「え?そりゃ、わたしずっと日本にいたけど、年末にかずさが家に来てくれて決まったんだよ」
雪菜はどうして朋が雪菜がずっと日本にいた事を知っているんだろうと思ったが、とりあえず説明してみた。
朋の表情はまだ硬いままだった。
「確か、付属の卒業式の日に、その『冬馬かずさ』に北原さん取られちゃったんじゃなかったかしら?
結局、いなくなった冬馬さんから彼の心を取り戻せずに、最終的には後輩に横取りされたんでしょ?
いまさら仲直りなんてできっこないでしょ。それに、北原さんとのことは冬馬さんだって後ろめたいでしょうし」
「あぁ、春希くんとならもう大丈夫だよ。だって、ここ一週間、三人で一緒にいるし」
それを聞いて朋の怒りは頂点に達したようだった。
「あ…、あなた…それこそありえないでしょ!
……そうだ、それなら私からあなた達にプレゼントがあるわ。
ふふっ……今度のバレンタインライブのステージで歌う枠を特別にあげるから出演してみるぅ?」
朋は怒った顔から急に、にやけた顔に変わった。
「まあ、さすがに冬馬さんに出ていただく訳にはいかないでしょうけどぉ」
朋は勝ち誇ったような顔で雪菜を見ていた。
「ライブかぁ、そうだね、三人で出れたらいいなぁ……」
「あ…あなた、まだそうやって私をからかうの?いいかげんにしてよ!」
「え?別にからかってなんかいないよ。えーと、ちょっと待っててもらえるかな?」
そう言うと雪菜は携帯を取り出した。
「あ、社長ですか?雪菜です。実は……」
朋は暫くあっけにとられたまま、立っていた。
そして、通話を終えた雪菜が朋に言った。
「うん、三人で出られるよ。でね、お礼にあなたにプレゼントしたい企画があるの」
「…プレゼントしたい……企画?」
「だって柳原さん、テレビ局に勤めるんでしょ?
だから、以前、東亜テレビから来ていた社長の出演の話を、できるだけ早く、こちらの希望する出演者が確保できればOKってことで。もちろんあなたが司会進行してね」
「社長って……」
「もちろん、冬馬曜子。ちょっとバラエティーっぽくなっちゃうから断ってたみたいだけどね」
「冬馬…曜子…が、バラエティー?」
「まぁ、テーマは親子の絆。母子家庭家族のお母さんの愛情いっぱいの手料理を、子供に食べてもらうの。もちろん、子供ってかずさだよ」
こんな、冬馬曜子としては絶対受けるはずのない話を、雪菜は、ある目的の為に了承させた。
今回、子供の為に料理をするのは、冬馬曜子ともう一人。曜子と同年代で、かずさと同年代の子供がいる母子家庭の母親。
思いもかけない所から、願っても無い企画が出来上がっていった。
有給休暇とライブ
「はい、開桜グラフ編集部です。……あ、春希先輩!お疲れ様です。……浜田さんですね、はい、いますよ」
小春の元気な声が編集部に響いた。
「小春っち、いきなり元気5割増しだね」
「はい!だって思いがけなく先輩の声が聞けたんですから」
「ああ…、もう、からかいがいの無い…。彼氏の声だけでそんなに満面の笑みを見せられると、独り身にはつらいわ……」
最近、鈴木の扱いにも小春は慣れてきたようだった。
「なんだ、北原。何か問題でもあったのか?……え?有給休暇?そりゃ、届けさえ出てりゃ駄目とは言えんが……来月の14日?」
春希の電話を受けた浜田の言葉を聞いた鈴木が小春を見た。
小春は無言のまま浜田を見ていた。
「あっれぇ、彼氏くんがわざわざ休みを取ってまで何か計画してるのかなぁ?」
鈴木としては、バレンタインデーに休むなんて、どうやってからかってやろうかと思い、声をかけたのだが、当の小春は表情を曇らせていた。
「え…、いえ……だって、私はその日は丸一日講義があるから、会うのは夜だって……休みを取る必要なんか……」
そう言うと、小春は手元のメモ用紙に走り書きをして、それを持って、まだ春希と電話で話している浜田の方へ向かった。
そして目の前に仁王立ちした小春を不審そうに見る浜田の目の前に、そのメモを差し出した。
『お話が終わりましたら電話を替わって下さい』
そのまま小春は浜田が話し終えるまで、浜田を、というよりは浜田の持っている受話器を睨みつけながら立っていた。
話を終えると、浜田は渋い表情をしながら小春に受話器を渡した。
「あ、先輩。有給休暇ってどういう事ですか?……ライブって……小木曽先輩と………冬馬先輩も?」
小春は気付いていなかったが、小春が受話器を受け取った瞬間に、編集部は一瞬静まり返って、皆聞き耳を立てていた。
『冬馬先輩』という言葉の直後にざわめきが広がる。
「鈴木さん、今、杉浦が言った『冬馬先輩』って、『冬馬かずさ』の事ですよね。追加コンサートが終わらないのにライブに参加なんて、いいんですか?」
松岡が渋い表情で鈴木に問いかける。
「うーん、どうだろ。まぁ、本人次第なんだし……、でもさぁ、北原君がギター弾くんだよね。私も休んじゃおっかな?あ、それよりも麻里さんに教えてあげよっか?きっと麻里さん飛んでくるよ」
「そうですね、冬馬かずさがライブに出るなんて、本当にアメリカから飛んで来ますよ、取材しに」
「もうー、分かってないなぁ。松岡は……」
小春が春希との話を終えると、浜田は重い口調で言った。
「杉浦、お前はこれまできっちりと仕事をしてきたから、分かってると思っていたんだが、いくらアルバイトとはいえ、公私混同は良くないぞ」
しかし、浜田の言葉にも小春は動じなかった。
「はい、原則的には良くないことは分かってます。でも今回の場合、すぐに春希先輩に確認しておかないと、この後の私の仕事の効率が極端に落ちると思いました。
総合的に判断して、聞いた方が会社にとって利益があると思いましたので。…こういう考え方は間違っていますか?」
小春は真っ直ぐに浜田を見た。
「……う…、まぁ…、今回だけは大目に見てやる」
「はい、それでは仕事に戻ります!」
席に戻った小春の所に、早速鈴木が来た。
「ねぇねぇ、どういう話だったの?」
「プライベートな事なんで、お話しできません。それよりも、仕事して下さいよ」
小春のそっけない返事に、鈴木は口をとがらせて言った。
「えー、これ聞けないとこの後の私の仕事の効率が極端に落ちるんだけどなぁ……」
「大丈夫です、これくらいの事で鈴木さんの仕事の効率は落ちませんから」
横から松岡も言った。
「俺も、これを聞けないと仕事の効率が……」
全部を言いきらないうちに小春はきっぱりと言った。
「大丈夫です、松岡さんの仕事の効率はすでに落ち切ってますから」
「松っちゃん、相変わらずバイトに勝てないねぇ」
「あ…相手が悪いんです。だって、北原も杉浦も普通じゃないですから」
「そういう開き直りされてもねぇ……」
バイトを終え、小春は岩津町駅で電車を降り、冬馬邸へと向かった。
玄関で雪菜の出迎えを受けて、練習中の春希のもとへと地下への階段を下りた。
そっとコントロールルームのドアを開けると真剣な表情で練習する春希の顔が見えた。
ガラスの向こうのブースでは、かずさがこちらもまた真剣な表情だった。
そっとドアを閉めると暫く春希を見つめていた。
曲が終わり、顔を上げた春希と目が合った。
「ああ、小春、来てたんだ。………もう、そんな時間か…」
ぐうっとのびをする春希。
「お疲れ様、すごいですね、『届かない恋』もう完璧じゃないですか」
「そんなこと無いよ。一応間違えずに弾けるってだけで、まだ余裕がないからな」
ぐるぐると肩を回して春希が言った。そして、ブースの中のかずさを見て
「あいつみたいに、人に合わせるなんて芸当も出来ないしな」
「プロに張り合っても仕方ないじゃないですか。それよりも、ライブ、やるんですよね、3人で」
その小春の言葉に、春希は首を横に振った。
「え?……違うんですか?」
「電話だと詳しく説明出来なかったからな。まあ、雪菜が歌う事は間違いないし、その雪菜が俺とかずさが出ないならやらないって言ってるから……」
「どこが違うんですか?3人で出るんですよね」
「俺たち3人は確かに出る。でも、どうも柳原が先走ったみたいで…」
「柳原…って、あの『柳原 朋』先輩ですか?ミス峰城大の」
「ああ、その柳原だ。今日、雪菜が峰城大に用事があって行った時に、偶然会ったみたいでさ、雪菜にバレンタインライブに出ろって言ってきたみたいなんだ…」
春希は事の顛末を詳しく話しだした。
朋はどうも、売り言葉に買い言葉で、勝手にライブの枠を開けると雪菜に言ったみたいだった。
当然、他にしわ寄せが行くのだから、朋も困っていたのだが、一つのグループが、それなら一緒にやってくれないかと言ってきたのだった。
朋は渋ったが、雪菜が皆で楽しくやろうよと言ってしまった為、話が決まってしまった。
「でも、雪菜がボーカルなのは決まりだし、俺もギター以外出来ないからな」
そう言って春希はかずさを見た。
「でも、あいつは何でも出来るから、気晴らしに何をやろうかって言ってたよ」
かずさを見る春希の目は、懐かしそうに笑っていた。
そんな春希を見て小春は決心した。
「私、絶対見に行きますから」
「え?、小春、確かその日は一日大学じゃなかったっけ?」
春希は、以前バレンタインの予定を確認した時のことを思い出した。
そんな春希に、小春はきっぱりと言った。
「はい、もちろん時間が合わない講義はお休みします。だって、私の人生において、どっちが大事かなんて分かり切ってますから」
一般出演者決定
練習を終え、帰ろうとした春希に雪菜が声をかけた。
「春希くん、土日は練習どうするの?ここに来る?」
春希は不安そうな視線を送る小春をちらっと見て、その後、雪菜を見て言った。
「いや、せっかくの休みなんだし、家で練習してるよ」
「……そう…」
雪菜はちょっと残念そうな顔をした。
けれど、それは一瞬のことで、すぐにもとのにこやかな顔に戻ると
「そうだ、春希くん。来週の月曜日なんだけど、ここで東亜テレビの収録をやるからね。
お昼を挟んで3,4時間ぐらいかな。なんと、社長に料理を作ってもらっちゃいまーす」
「社長って、…曜子さんが料理?あの人、そんな事出来るのか?」
春希は不安になってきた。食べられるんだろうか……
「もちろん、助けてくれる人はいるよ。以前ここで働いていた柴田さんっていう人と、もう一人、社長のファンの一般の人」
「じゃぁ、俺やかずさは下で食べたほうがいいのかな」
収録の邪魔になることは避けなければいけない。
「ううん、むしろ、食べてもらって、感想を言ってもらいたいかな」
春希の顔が一瞬で曇った。少なくとも、超激甘なのは間違いないだろう……
「それは……覚悟しておいたほうがいいかもな…」
「もうー、たぶん…大丈夫だ…よ?」
雪菜の自信なさそうな口調が、いっそう春希の不安を煽った。
「それにしても、そんな企画があったなんて知らなかったな。かずさからも聞いてないし」
「あ、実はね、急に決まったんだ。今日、わたし峰城大に行って、教授に就職の報告をしてきたんだけど、その後で柳原さんに声をかけられたの」
「そうだったんだ、柳原から声を……」
朋は、雪菜に対してはかなり悪印象を持っていたはず。声をかけられたというよりは、何か嫌味を言われたんだろうな。
けれど雪菜は嬉しそうな顔で話を続けた。
「それでね、バレンタインコンサートに出てみないかって言われたの。しかも私たち3人一緒に出ないかって」
春希はその状況を想像してみた。
嬉しそうに話を聞く雪菜。しかし、相手の柳原朋の背後にどす黒いものが見えてきてしまう。
在学中から朋には雪菜は直接的な攻撃は受けていなかったが、陰で雪菜を悪く言っているのは武也からさんざん聞かされた。
「だからね、お礼に社長の出る番組の司会をお願いしてみたの。彼女、東亜テレビに就職決まったみたいだし、在学中も何度か司会みたいな事してたらしいから。
社長はそもそも出演そのものを渋ってたけど、かずさの為ならってわたしに一任してくれたの。
それで、今日の夕方に柳原さんと一緒に都内のスーパーに行って、そこでインタビューしながら一般の出演者を決めたの」
かずさの為…、その言葉が何を意味するのか。雪菜とかずさの間にある問題を解決する為としか春希には分からなかった。
春希に言えないとかずさが言っている以上、雪菜に任せるしかないだろう。
「そうか…、かずさの為か……。でも、そんなに急に、よく出てくれる人が見つかったな。
一般の人って言ってたけど、曜子さんとあまり年齢差が無い方がいいだろうし、そうすると家庭や仕事のこととかあるだろ?」
学生ならともかく、明々後日テレビに出てくれって言われて、家族に相談も無しに決められる主婦限定で探していたんだろうか…
実は、春希の想像する以上に出演者探しは当初難航した。
買い物客で溢れ返った夕方の都内某スーパー。責任者には『冬馬曜子』の名前を出したらすぐに客へのインタビュ―活動を快諾されたが、状況は芳しく無かった。
午後4時から始めた活動も、5時を過ぎ、6時近くになる頃には、朋から不満の声が出始めた。
「ねぇー、小木曽さん。もうちょっと条件甘くならないのぉ?
母子家庭で『冬馬かずさ』と同年代の子供がいる人ってだけでまだ見つからないのに、その上、『冬馬曜子ファン』って……」
最初は意気揚々と次から次へと声をかけまくっていた朋だったが、こうも手ごたえが無いとさすがにきつくなってきた。
「そんなこと言わないで、きっと見つかるから。……あ、柳原さん、あそこで今トマトを手に取ってる人に声かけてきてみてくれる?」
雪菜はあたりを見回すと、一人の女性に目を止めて言った。そしてまた自分は別の女性の方へと向かって行った。
朋としては『こんなこと、やってられないわ』とでも言いたい状況だった。
しかし、ここで先に音を上げてしまったのでは、雪菜に負けた気がして癪だという気持ちもあった。
「すみません、東亜テレビですけれども少しお時間よろしいでしょうか?」
その女性は手にとって品定めをしていたトマトから訝しげに朋に視線を移した。
―あぁ…、なんか機嫌悪そうな人。あっ、もしかして小木曽雪菜…あいつ嫌がらせの為にわざわざこの人私に任せたんじゃ……。ふん!負けるもんですか!!
まぁ、そんな気持ちは顔には出さず、にこやかに相手の反応を朋は待った。
しかし、返って来たのは意外な言葉だった。
「……あの……もしかして、『柳原 朋』さん?ミス峰城大の……」
「え?……、あ、はい……」
朋はとつぜんの事に暫く返事が出来なかった。
確かにミス峰城大としてテレビに少しだが出演したことはあった。
出演直後は有名人になった気がして、街を歩く時も周りの視線を気にしてみたりしたのだが、結局期待した反応は全く返って来なかった。
それが、まさかこんな所で、しかも名前まで覚えていて貰えたなんて……
朋が声を出せないでいると、その女性は
「あ、……ごめんなさいね、名前まで知ってるなんてって思ってらっしゃる?実はね、息子が昨年峰城大を卒業してるのよ……」
「え…、ああ、そうですか。息子さんが卒業生……ええと、何学部だったんですか?」
さすがに名前まで聞くのはどうかと思い、とっさに学部を聞いてみた。だが、そのとたん女性の顔が曇った。
「……ごめんなさい、…知らないの。主人と離婚してからあまり会話が無くなって、大学に入ったら勝手に一人暮らし始めてしまって……。
扶養を外すのに必要な書類一式が春に送られて来たから、卒業して就職出来たのは間違いないんですけど……」
女性の沈んでいく様子に朋は戸惑ったが、同時に雪菜が出していた条件を思い出した。
「あの、失礼ですけど、現在も再婚されている訳ではなくて、母子家庭ということですよね。それで……、突然ですけど、『冬馬 曜子』ご存知ですか?」
そう、雪菜の出していた条件は、母子家庭で、かずさと同年代の子供がいるが不仲、冬馬曜子のファン、という極端にピンポイントなものだった。
すぐには見つかるはずもないとは思っていたが、さすがにかすりもしなかった条件に、あとひとつ、冬馬曜子ファンならばこの女性はあてはまるのだ。
しかも、自分を知っていてくれた人。朋は祈るような気持ちで女性の返事を待った。
「ええ、もちろん知ってますよ。だって、私たちみたいな女性にとってあこがれの人ですからね。
ファン……といっても、コンサートに行くような余裕も無いですから、CDを何枚か持ってるぐらいですけど……」
「じゅうっぶんっですっ!小木曽さーん!ちょっとこっち来て!ほら、急いで!」
朋に呼ばれて雪菜は一瞬頬を緩めるとゆっくりと歩いて来た。
「もぉー、そんなに大きな声出さなくっても……、で?どうしたの?」
あまりに平然としたその態度に若干苛立ちを覚えたが、そんな事はこの際、些細な問題だった。
「見つかったのよ、この人、条件に合ってるわよ」
女性の前に引っ張り出された雪菜はにっこりとほほ笑んだ。
「初めまして、わたし、株式会社冬馬曜子オフィスの小木曽と申します。実は、お願いがあるのですが…」
「あらあら、また綺麗なお嬢さんがいらっしゃったわね。お二人とも素敵な方でびっくりしました。ホント、どちらかが息子のお嫁さんになってくれればって言いたいぐらいですよ」
「え?…わたしなんかでよければ是非……お嫁さんかぁ……」
雪菜はぽっと頬を染めてもじもじしながら言った。
「ちょっと、小木曽さん!なに初対面の人に変な事言ってるの?社交辞令に決まってるでしょ」
隣で朋が小声で雪菜に耳打ちした。
「もう…、いいじゃないの、わたしだって少しぐらい夢見ても…」
雪菜は口をとがらせて呟いた。
「……あなたって、もうだれでも良くなっちゃったの?」
「気にしないで、それよりも後の事は私が進めておくから、柳原さんはもしダメなときに備えて次の人に声かけてきてくれないかな」
やっと見つけたという安堵とともに、自分に自信が出てきた朋は、見違えるように喜び勇んで少し離れた所にいる別の女性の元へと向かった。
朋が離れたことを確認すると、雪菜はその女性にテレビ出演の話を始めた。
「実は、冬馬曜子と一緒に料理を作って頂きたいんです。ご存じだとは思いますが、冬馬曜子はかずさという娘がいるんですけど母子家庭でして、普段料理などしません。
そのため、娘のかずさは母親の料理というものを食べたことがほとんど無いんです。そんなかずさに母親の手料理を味わってもらうそのお手伝いをお願いしたくて……
もちろん、あなたも息子さんに食べてもらうつもりで料理を作って欲しいんです」
その後の雪菜の対応は素早かった。女性の住所や勤務先の確認。残業中の上司への連絡と月曜日の女性の欠勤とその保障の交渉など、全てが驚くほどの速さで進められていった。
小春の告白と新曲の歌詞
翌日、春希が目覚めるとすぐ横で春希の顔を見つめる小春と目が合った。
「おはよう、小春。どうした?なんか嬉しそうだな」
「おはようございます、春希先輩。うふっ、なんか、久しぶりだなぁって思ってたんです。こうして朝先輩の顔見るのが」
小春はそう言って顔を近づけてきて、そっと唇を重ねてきた。
「ん……、久しぶりって、先週も泊って行ったし、これまでと変わらないだろ?」
「そうかもしれませんけど、今週はすっごく長く感じたんです。毎日、毎日、早く週末にならないかなぁって……」
「……」
「今日も朝からここで練習ですか?私、見てていいですか?」
「え?…そりゃ、いいけど。でも小春、俺の練習を見てるだけでいいのか?せっかくの休日だし、二人でどこか出掛けてもいいんだけど」
春希は小春の顔を覗き込みながら言った。
「ダメですよ、ちゃんと練習しないと。冬馬先輩のコンサート前にレコーディングするんですよね。なるべく迷惑かけないようにして下さいよ」
小春は窘めるように言った。
「そうだな…、でも、迷惑というなら、練習よりも作詞をなんとかしなくっちゃな……」
そう、問題は新曲の作詞だった。未だに一行も書けていない。
「作詞…ですか。……そういうのって、どういう時に浮かんでくるものなんでしょうか?『届かない恋』の時って……」
そこまで言って、小春は春希の視線がそれたのに気付いた。
―ああ、そうか。あの曲は先輩が『冬馬かずさ』を想って作った曲だったっけ……
さすがに春希も小春の態度が変わったことに気が付いた。
「あの時は………若かったなぁ…」
思いがけない言葉が春希の口から出てきたので、小春は目を丸くして驚いた。
そしてその驚きは、すぐに笑いへと変わった。
「……ぷっ、…ふふっ、な…なんですかその悟ったような言い方、あははは」
「いや、真剣にそう思ったんだよ、若かったって」
小春もすぐに、その言葉が春希の優しさだということに気付いた。
「そうですよね、5年も前のことですもんね」
「だから、今回は少し大人になった北原春希を表現したいなぁって考えてたら、……書けなくなった」
「そんな、大人になったって…あ、それなら今度は私の事を想って書いて下さい」
それは、以前から小春が考えていた事だった。自分への形に残る言葉が欲しい。しかも、その事が自分だけに分かっているならなお嬉しい。
歌の歌詞ならそれはもってこいだ。
「小春の事を…か……。そうだな、ならひとつ思いつくキーワードがあるんだけどな」
「キーワードですか?」
なんだろう、小春は首をかしげて春希を見た。
「ああ、『人生のロスタイム』ストラスブールから帰って来た後、言ってただろ」
「あれ…ですか……」
春希の予想に反して、小春の表情は少し沈んでいった。
その後、二人で朝食を作り、食べ終えた後、小春が後片付けをし始めると、春希はギターの練習を始めた。
小春は片付け終えると、ベッドにもたれてギターを弾く春希の傍へ来て言った。
「先輩、ちょっと前に動いてそれからあっちに体を向けてもらえます?」
「え?…ああ」
春希は言われるまま体を動かした。すると、小春は春希の背中にもたれて座って言った。
「はい、いいですよ。これで弾いてください」
春気が弾きはじめると小春は大きく息を吐いて言った。
「あぁ…、やっぱりこれいいなぁ…先輩の背中から、先輩の暖かさとギターの音が一緒に伝わって来る……」
そのまま、春希は暫く弾き続けた。やがて、小春が意を決したように口を開いた。
「先輩、ごめんなさい。私、先輩に嘘ついていました」
春希の指が止まった。
「……」
「以前、話した叔母の事……『人生のロスタイム』…あれ、実は私の両親の事なんです」
「え?両親…って、お父さんとかお母さんじゃなく両親って……」
小春は春希にもたれたまま頷いた。
「はい、両親です。私の母は父と再婚したんです。昔恋人だった父と……」
それなら、と春希は聞いてみた。
「もしかして、最初にお母さんが結婚した相手は…」
「はい、交通事故で亡くなりました。結婚して10年以上後のことですけど…
父と母は別れた後も、職場が近かったのでたまに顔を合わせて、そんな時に少しですけど近況報告みたいな事をしてたそうなんです。
お互い結婚して、子供も元気に育ってるって話してたって」
春希はそこで小春に聞いた。
「じゃあ、小春の両親は……」
「いえ、私は再婚後に生まれたんです。だから本当の両親ですよ。……二人とも嘘付いていたんです。
母は、子供がいないのに、いるって。父なんか結婚さえしていないのに……子供の話なんか…。
もともと、二人が別れた原因は父の性格の問題というか……まあ、一言で言えば飯塚先輩みたいな人だったんです。母の結婚式に別の女性と一緒に花束持ってお祝いに行ったそうですから。
でも、母の花嫁姿を見て心に穴が開いたみたいになったって、初めて本当に好きだったんだなぁって気が付いたって」
「…武也みたいな……か」
それは相手も大変だったろうと春希は思った。
「母も本当はまだ、父の事好きだったんですけど、お互いに別れた相手にそんな事言えなくて、むしろ自分は幸せだから相手も気にせず幸せになって欲しいって…
母は子供がいないのに二人の男の子がいるって、父なんか、結婚さえしていないのに、長男と下に女の子二人って……
別れて何年かはたまに駅とかで偶然会った時に、二言三言話すだけだったから。でも、10年経って、お互い一度ゆっくり話をしようって事になって、食事にいったそうです。
話してるうちに、まだお互いの事がすごく好きだって分かって、その時に父が母に言った言葉が、『お互いの伴侶に先立たれてそれぞれが一人になった時、まだお互い好きだったら結婚しよう』だったんです。
父としては、本当にそれまで待っているつもりだったみたいですけどね」
ここまで話す間、小春は春希の背中で微動だにしなかった。
「でもね、父がそう伝えてすぐに母の結婚相手が交通事故で亡くなっちゃったんです。出張先から帰るところだったって。
二人ともそれからずっと悩んで、会わないまま一周忌が過ぎて、ようやく二人で会おうということになって、お互いの事、こんどは包み隠さず話したんです。
そしたら、母には実は子供もいなくて、父なんか結婚さえしてないって事が分かって、ようやく二人、結婚することになったんです」
小春は話し終えると、ぐうっと伸びをした。
いつの間にか春希のギターの音が始まっていた。
「なんか、今の話聞いたらちょっと書けそうな気がしてきたよ。もちろんその内容を使う訳じゃないけど。
やっぱり、すれ違いや衝突があっても、その時すぐには無理でも、時間が経てばなんとかなる……願いは…叶う…か」
「どんな歌詞になるんでしょうか?」
小春の質問に春希は笑いながら答えた。
「はは、それはまだこれからだよ。でも、たぶんエレキじゃなくてアコギが合う気がするな」
手に持ったギターの弦を弾きながら春希は言った。そう、この音、この懐かしい雰囲気の音色。
翌日夕方まで、春希は『ホワイトアルバム』を弾いたり、『POWDER SNOW』を弾いたり、ノートに詩を書いては消してを繰り返しながら過ごした。
小春は食事の準備や片付け、掃除、洗濯、買い物など春希の身の回りの世話をした。それは小春にとって幸せな時間だった。
ちょうど夕食の準備が出来た頃に、春希が小春を見て言った。
「うん…出来た……と思う」
その言葉に小春は飛びつくようにノートの前に屈みこんだ。
「………キセキはおきる………きっと叶うよ、願いは………ゼロから once again…
なんか、いいですね。しっとりとしたメロディーが合いそう…。それで、タイトルは?」
「……『時の魔法』…だよ」
